社会: 2006年11月アーカイブ

ホームレスの老婆が殺される事件がおきました

高校生くらいから持っている漠然とした不安のひとつが老後の収入があります。働く事ができなくなった時に、収入がないというのはとても恐ろしいです。
現在の社会は「自由」イコール「経済力」です。子供は経済力は持っていなくても、そもそも自由を知らないし、将来において自由になれる「希望」があります。年老いて、持っていた「自由」を失うのは本当に恐ろしいものです。

現在、国民年金は月額6万6000円しか支払われません。一人暮らしの老人が、衣食住に医療費を合わせて6万6000円で暮らせますか? 絶対無理です。夫婦合わせても13万2000円で、物価の安い田舎で医療費を除いてなんとか生活できるといったところでしょう。

今後は生涯独身の方や、離婚するかたは増加し続けます。このような夫婦+子供の援助という標準モデルは通用しなくなっていくはずです。それにもかかわらず、行政が示す年金プランはどこかずれたモデルで現実味がありません。

普通の感覚であれば大企業で定年まで働き、厚生年金 + 企業年金 + 貯蓄 という選択肢が一番よいと思います。ある会社の場合、企業年金の原資に退職金を加算し、さらに受け取り開始年齢をを65歳以降に延長すると退職時の7割(ボーナス除く)の収入が得られるモデルでした。

もっともその恩恵を受けられるのは昨今退職していった人たちまでで、私たちのころには半分くらいになるでしょう。

よく格差社会という言葉を最近耳にしますが、本当の格差社会は老後にやってきます。若い頃なんて収入格差と生活格差は一致していません。年収が700万超えていても、月に15万円しか使ってない人もいるわけです。

歳をとった時に、月額50万円と7万円の生活のいずれが待っているか・・・20~30代の選択によってすでになされていることに気がついていないんですよね。孫にプログラムを教えてあげられるくらいの生活はしたいものです。

先日、教育基本法が改正されました。
政治の世界はドタバタ劇で不鮮明ですが、与党側の強行採決のようです。

学校にいまさら行くわけでも、教師になるわけでもないので関心が薄いのですが、いつかは自分に跳ね返ってくる可能性もあるので『愛国心』について分析をしてみましょう。愛国心教育の歴史、メリット、デメリットなどは世の中に大量に記事があるので触れません。その前段階のお話です。

愛国心の解釈

『愛国心(patriotism)』まずこの言葉がわかりません。目に見えない形のないものを示す言葉ですから、使う人・時代・場所によって揺れ動きます。 『かわいい』や『おいしい』などは実存する具象にたいして評価を行う言葉で、人・時・所によって変化しても理解ができます。ところが『愛国心』とは、心のありようですから、行動で評価する以外はありません。同類の言葉としては『誠実』、『愛情』などです。

では、どのような行動が愛国心の発露といえるでしょうか。

利益・損益の9分割チャートで考えます。


他 他 他
利 -- 損
自利 △ 独善 犯罪
自-- ○ ムダ 失敗
自損 ◎ 自損 事故

愛国の愛という言葉には、自分以外の利益に繋がる行為を指しているようです。中でも、自分が損をしてでも他の利を生む行為を高く評価するようです。

① 愛国心とは他への利益を生む行為である

では、次に利を与える対象範囲について考えてみます。
博愛主義的な立場でとらえるなら、世の中全てということでしょうが、それなら『博愛心』教育をするでしょうからもっと狭い範囲です。所属コミュニティーへの貢献でしょうか・・・、これも『社会性』教育というべきもので既に実施されていることになっています。もう明らかなんですね。

『国』への貢献を要求する教育です。伝統を愛するとかなら文化保存に貢献することですし、郷土を愛するというなら環境美化に貢献することになるのでしょう。大変便利ですね。ただし、この国はどの国でもいいわけでなく、自国=日本だけに限定されます。

② 愛国心の対象は自国ある

また、注意すべきは『国』の対象には『組織』つまり『行政組織』が含まれる点です。行政に対して貢献する事を尊い行為と解釈する事ができます。

③ 愛国心の対象には行政組織が含まれる

そして愛の対象は人ではないのです。『愛校心』なら学校、『愛社精神』なら対象は会社であるように、人以外への愛を規定する言葉なのです。

④ 愛国心にの対象に人は含まれない

このあたりが一般的にとられる解釈でしょう。
ちなみに、愛国心という言葉が使われる理由は、

第25回中央教育審議会基本問題部会議事概要
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/gijigaiyou/002/030201.htm
http://www.h5.dion.ne.jp/~hpray/kyouikumondai/kihonhou/aikokusin/kihonmondai03.htm

中嶋嶺雄(公立大学法人国際教養大学理事長、学長)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B6%8B%E5%B6%BA%E9%9B%84

「愛国心」についても、感情的な価値を伴うため、これまでこの言葉を避けてきたところがあるが、例えば「郷土や国を愛する心」を英訳するときに、非常に困ることになる。ファシズム興隆以前の1920年代に書かれたカールトン・ヘイズ教授の「Essays of Nationalizm」においても、郷土を愛する心が健全なナショナリズムであるとされており、“patriotism”とは“love for native land”であるとされている。「愛国心」という言葉を避けると、教育基本法に国際的通用性がなくなってしまう。愛国心というものは、民主主義と個人の尊厳があれば、戦前のような全体主義・国家主義には陥らない。このような問題意識は昭和29年に出版された「愛国心」(清水幾太郎・著岩波新書)にも見られるが、我々は「愛国心」を避けて通らずに、しっかりと取り組んでいく必要がある。今後、日本の在り方として、民主主義・個人の尊厳の中に愛国心を位置付けていくような本質的な議論が必要となると考える。

理論武装ができていますね。この中嶋さんにとっては愛国心という言葉は制御できるのかもしれませんが、一般にはそうなりません。教育については権威かもしれませんが、想像力が少し欠けるんじゃないでしょうかね。

教育基本法も目的は国際的通用性よりも、現場の運用性と制御性を重視してほしいものです。

アメリカのネオコンみたいに、『愛国心教育』も政府中枢にいる何人かの超タカ派が煽っているだけの気がしてならないですね。議事録と交友関係あされば見えてくるのかなぁ

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